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森町と室蘭は、海上輸送だったんですね❗
36号線を特集して頂きありがとうございます。 分かりやすかったです。
嬉しいご感想ありがとうございます!これからも北海道の歴史や文化を様々な視点から分かりやすく紹介できるよう頑張って参ります。今後ともよろしくお願いいたします!
弾丸道路って懐かしい 石炭を積んだダンプカーが弾丸のように走って石炭を落として行った 道路沿いの住民はそれを拾ってストーブの燃料に使ってました。
ご視聴ありがとうございました。当時の様子を知ることができる貴重なコメントをありがとうございます。石炭全盛期には国道36号線でも道路輸送で石炭が運ばれていたことを初めて知ることができ、改めて北海道の歴史を感じることができました。今後ともよろしくお願いいたします。
昭和の時代、札幌方向へ恵庭を過ぎたら片側1車線の道路で更に急な坂道があり、冬は登れないトラックが沢山居た。その辺りから輪厚迄は砂利道だったのを覚えてる。その坂道の有る恵庭の道央高速道と並走する場所が昭和50年代に片側二車線の「譲りゾーン」が出来、急な坂道を迂回しつつスムーズに走れる様になったのは画期的でしたね。冬には本当助かった。
スッキリとした構成でとても見やすいです!
コメントありがとうございます。今後も北海道の歴史を様々な切り口から取り上げて参りますので何卒宜しくお願い致します。
12年前まで札幌、36号線沿いに住んでました。パッと見ただけでどの辺りか分かったシーンもいくつかありました。懐かしい気持ちになりました。
ご視聴ありがとうございました。今回の資料映像を基に現在の国道36号線を走行して取材しましたが、道幅は拡幅されたものの随所で当時の様子や面影を感じることができる場面が多々ありました。今後も北海道の歴史を掘り下げ後世に伝える番組を制作して参りますので何卒よろしくお願い致します。
説明が上手ですね!「急いで作ったから弾丸道路」とまでは知っていたけど、GHQが絡んでたとは…
因みに豊平川沿いの道路も進駐軍の意向ですね、
すごい、テレビの切り抜きかと思った
嬉しいコメントありがとうございます!テレビと同等以上の番組クオリティーを目指して企画・取材・制作を行なっており、本当に励みになるコメントでした。今後とも何卒宜しくお願い致します!
国道36号線は又の名を「弾丸道路」そして「棺桶道路」とも言われていたのをご存知でしょうか。小学生の頃、親と札幌へ行く時、国鉄も利用しましたが、この36号を走る中央バス、道南バスも利用していました。島松沢を通り、あしりべつ病院の付近を経由して札幌市街地へと向かいましたね。
棺桶道路と呼ばれてましたね。交通量が多いから横断は気をつけるように言われてました。
団塊の端の世代です小学生の頃弾丸道路沿線に居ました(月寒)。イメージ的に弾丸道路は危険だから安易に近寄ってはいけないと親に言われていた記憶があります、今では考えられませんが、国道と一般人の生活が密接にリンクしていた記憶があります。一例として、美園に知的障害が御有りの有名人が居られ交通事故や火事等が有ると「出動」されて現場の交通整理をしてましたね。
コメントありがとうございます。番組内容を補完する当時の貴重な記憶をコメントして頂き、ありがとうございます!今後ともよろしくお願いいたします。
勉強になります👍
ご視聴ありがとうございました。北海道の発展の歴史を多くの方々に知っていただきたく番組を制作しました。今後も様々な角度から取材を行って参りますので何卒よろしくお願い致します。
航路だったとこに橋があればなぁー
…国道36号線……1974〜1978年当時…札幌〜恵庭間には沢山のファミレスがあったなぁ〜…よく食事した… ビクトリアステーションがお気に入りだった…
ご視聴ありがとうございました。現在も札幌~恵庭間にはファミレス店舗が多数並んでいますが、ここ数年でも大型商業施設の建設など大きく風景が変わり続けている地域でもあります。これからも引き続き札幌の歴史記録として番組取材に取り組んで参りますので何卒よろしくお願い致します。
いいですねぇ😆
嬉しいコメントありがとうございます!今後ともよろしくお願いいたします!
今から40年以上前の1980年代に北海道をバイクで走ったとき、国道5号、36号などは舗装されていましたが、大きな町から離れた国道は砂利道が多く、砂埃をたてて走ってました。十勝の広尾と浦幌、吉野を結ぶ336号線は砂利道で、十勝川にかかる橋がなく、吉野町で人と自転車が乗れる「渡し船」で往復していました。
ご視聴ありがとうございました。当時の北海道の様子を後世に伝える貴重なコメントをありがとうございます。この頃は札幌近郊でも石狩市などで渡し舟が運行されており、道内各地でみられた風景だったことかと思います。今後は十勝地方など様々な地域の歴史を取材して参りますので何卒よろしくお願い致します。
当時できたばかりの弾丸道路も今では市街地を通る混雑した道路になりましたね。
ご覧いただきありがとうございます。弾丸道路の札幌市内区間は慢性的な渋滞が多発するほどの交通の要所へと成長しました。札幌市外の区間については長い直線区間が多く、いまなおスピードが出やすい状況にあるなど、区間によって大きな差があるのも特徴かもしれません。またのコメントお待ちしております!
氷点と夏空の時代の国道映像見れて良かった
ご視聴ありがとうございました。北海道の開拓がまだまだ途上であった当時の様子を記録した数少ない貴重な映像かと思われます。今回取材にご協力いただきました北海道博物館では、広大な敷地に移築された建物群から当時の様子を堪能できるかと思います。ぜひ一度足を運んで頂ければと思います。今後とも何卒よろしくお願い致します。
4:34 上り坂頂上付近で先がブラインドなのに追い越すのか・・・
ご視聴ありがとうございました。私達もこの様な点からも自動車交通網が発展途上の当時の様子を記録した貴重な映像と感じながら編集を行いました。今後とも何卒よろしくお願い致します。
昭和50年代までは真栄ー三里塚間は信号が無く、本当に弾丸道路だった。
4:35 ここのS字区間、どの辺りなんでしょう?島松辺りですか?誰かわかりませんか?
昔の36号線は電線だらけだったんですね?今では豊平のあたりは無電柱化されています。
映像に島松沢のうねうねした旧道みたいのが写ってる気がする。
弾丸道路は恵庭〜千歳間が渋滞してひどい弾丸ジャムってる
新千歳空港のあたり、めっちゃパトカー止まってるので観光客は要注意。
コメントありがとうございます!国道36号線は設計最高速度が高い事もあり速度が出やすい道路環境ですが、沿道は人口過密の地域から動物の飛び出しが多い地域まで目まぐるしく状況が変わる道路でもあります。観光客の皆様、そして日常的に利用する道民に皆様方には、是非ご利用の際は安全運転に努めて走行していただければと思います。
弾丸したらレーダーパトの餌食だけど(* ´艸`)
清田 ニトリ手前や空港から先ね!
サブローか(*≧∀≦*)
昭和36年「1961年」当時は登別付近の36号線はまだ砂利道だった
しょこたんのご先祖が工事に関わっている
「弾丸道路」って呼ぶのは、だいたい70歳以上の人が多いという印象。(ウチのじーさんもそう。)若い世代はだいたい「サブロク」ですかね?。
ご視聴ありがとうございました。制作陣のスタッフもサブロクの表現を使う人が多く、弾丸道路という表現については既に常用されていない物とも感じています。弾丸道路の表現は、道路の歴史を知るうえで記録を残すべき貴重な表現であると考えており、後世に伝えていく番組になっていましたら幸いです。今後とも宜しくお願い致します。
国道36号だから北島サブローなんだー
へえ~、弾丸道路ってのは初めて聞いた。まあ、わかる気はする。
ご視聴ありがとうございました。弾丸道路の名称は現在では聞く機会が少なくなりましたが、沿道の案内板など一部では現在も使用されているようです。今後とも北海道の歴史を記録する番組を積極的に制作して参りますので何卒よろしくお願い致します。
さぶろくー
さぶろく~!
「さぶろく」という響きが懐かしいですね!
森町と室蘭は、海上輸送だったんですね❗
36号線を特集して頂きありがとうございます。 分かりやすかったです。
嬉しいご感想ありがとうございます!
これからも北海道の歴史や文化を様々な視点から分かりやすく紹介できるよう頑張って参ります。
今後ともよろしくお願いいたします!
弾丸道路って懐かしい 石炭を積んだダンプカーが弾丸のように走って石炭を落として行った 道路沿いの住民はそれを拾ってストーブの燃料に使ってました。
ご視聴ありがとうございました。当時の様子を知ることができる貴重なコメントをありがとうございます。石炭全盛期には国道36号線でも道路輸送で石炭が運ばれていたことを初めて知ることができ、改めて北海道の歴史を感じることができました。今後ともよろしくお願いいたします。
昭和の時代、札幌方向へ恵庭を過ぎたら片側1車線の道路で更に急な坂道があり、冬は登れないトラックが沢山居た。
その辺りから輪厚迄は砂利道だったのを覚えてる。
その坂道の有る恵庭の道央高速道と並走する場所が昭和50年代に片側二車線の「譲りゾーン」が出来、急な坂道を迂回しつつスムーズに走れる様になったのは画期的でしたね。
冬には本当助かった。
スッキリとした構成でとても見やすいです!
コメントありがとうございます。
今後も北海道の歴史を様々な切り口から取り上げて参りますので何卒宜しくお願い致します。
12年前まで札幌、36号線沿いに住んでました。パッと見ただけでどの辺りか分かったシーンもいくつかありました。懐かしい気持ちになりました。
ご視聴ありがとうございました。今回の資料映像を基に現在の国道36号線を走行して取材しましたが、道幅は拡幅されたものの随所で当時の様子や面影を感じることができる場面が多々ありました。今後も北海道の歴史を掘り下げ後世に伝える番組を制作して参りますので何卒よろしくお願い致します。
説明が上手ですね!
「急いで作ったから弾丸道路」
とまでは知っていたけど、
GHQが絡んでたとは…
因みに豊平川沿いの道路も進駐軍の意向ですね、
すごい、テレビの切り抜きかと思った
嬉しいコメントありがとうございます!
テレビと同等以上の番組クオリティーを目指して企画・取材・制作を行なっており、本当に励みになるコメントでした。
今後とも何卒宜しくお願い致します!
国道36号線は又の名を「弾丸道路」そして「棺桶道路」とも言われていたのをご存知でしょうか。
小学生の頃、親と札幌へ行く時、国鉄も利用しましたが、この36号を走る中央バス、道南バスも利用していました。
島松沢を通り、あしりべつ病院の付近を経由して札幌市街地へと向かいましたね。
棺桶道路と呼ばれてましたね。
交通量が多いから横断は気をつけるように言われてました。
団塊の端の世代です小学生の頃弾丸道路沿線に居ました(月寒)。イメージ的に弾丸道路は危険だから安易に近寄ってはいけないと親に言われていた記憶があります、今では考えられませんが、国道と一般人の生活が密接にリンクしていた記憶があります。一例として、美園に知的障害が御有りの有名人が居られ交通事故や火事等が有ると「出動」されて現場の交通整理をしてましたね。
コメントありがとうございます。
番組内容を補完する当時の貴重な記憶をコメントして頂き、ありがとうございます!
今後ともよろしくお願いいたします。
勉強になります👍
ご視聴ありがとうございました。北海道の発展の歴史を多くの方々に知っていただきたく番組を制作しました。今後も様々な角度から取材を行って参りますので何卒よろしくお願い致します。
航路だったとこに橋があればなぁー
…国道36号線……1974〜1978年当時…札幌〜恵庭間には沢山のファミレスがあったなぁ〜…よく食事した… ビクトリアステーションがお気に入りだった…
ご視聴ありがとうございました。現在も札幌~恵庭間にはファミレス店舗が多数並んでいますが、ここ数年でも大型商業施設の建設など大きく風景が変わり続けている地域でもあります。これからも引き続き札幌の歴史記録として番組取材に取り組んで参りますので何卒よろしくお願い致します。
いいですねぇ😆
嬉しいコメントありがとうございます!
今後ともよろしくお願いいたします!
今から40年以上前の1980年代に北海道をバイクで走ったとき、国道5号、36号などは舗装されていましたが、大きな町から離れた国道は砂利道が多く、砂埃をたてて走ってました。十勝の広尾と浦幌、吉野を結ぶ336号線は砂利道で、十勝川にかかる橋がなく、吉野町で人と自転車が乗れる「渡し船」で往復していました。
ご視聴ありがとうございました。
当時の北海道の様子を後世に伝える貴重なコメントをありがとうございます。
この頃は札幌近郊でも石狩市などで渡し舟が運行されており、道内各地でみられた風景だったことかと思います。
今後は十勝地方など様々な地域の歴史を取材して参りますので何卒よろしくお願い致します。
当時できたばかりの弾丸道路も今では市街地を通る混雑した道路になりましたね。
ご覧いただきありがとうございます。
弾丸道路の札幌市内区間は慢性的な渋滞が多発するほどの交通の要所へと成長しました。
札幌市外の区間については長い直線区間が多く、いまなおスピードが出やすい状況にあるなど、区間によって大きな差があるのも特徴かもしれません。
またのコメントお待ちしております!
氷点と夏空の時代の国道映像見れて良かった
ご視聴ありがとうございました。北海道の開拓がまだまだ途上であった当時の様子を記録した数少ない貴重な映像かと思われます。今回取材にご協力いただきました北海道博物館では、広大な敷地に移築された建物群から当時の様子を堪能できるかと思います。ぜひ一度足を運んで頂ければと思います。今後とも何卒よろしくお願い致します。
4:34 上り坂頂上付近で先がブラインドなのに追い越すのか・・・
ご視聴ありがとうございました。私達もこの様な点からも自動車交通網が発展途上の当時の様子を記録した貴重な映像と感じながら編集を行いました。今後とも何卒よろしくお願い致します。
昭和50年代までは真栄ー三里塚間は信号が無く、本当に弾丸道路だった。
4:35 ここのS字区間、どの辺りなんでしょう?島松辺りですか?誰かわかりませんか?
昔の36号線は電線だらけだったんですね?
今では豊平のあたりは無電柱化されています。
映像に島松沢のうねうねした旧道みたいのが写ってる気がする。
弾丸道路は恵庭〜千歳間が渋滞してひどい
弾丸ジャムってる
新千歳空港のあたり、めっちゃパトカー止まってるので観光客は要注意。
コメントありがとうございます!
国道36号線は設計最高速度が高い事もあり速度が出やすい道路環境ですが、沿道は人口過密の地域から動物の飛び出しが多い地域まで目まぐるしく状況が変わる道路でもあります。
観光客の皆様、そして日常的に利用する道民に皆様方には、是非ご利用の際は安全運転に努めて走行していただければと思います。
弾丸したらレーダーパトの餌食だけど(* ´艸`)
清田 ニトリ手前や空港から先ね!
サブローか(*≧∀≦*)
昭和36年「1961年」当時は登別付近の36号線はまだ砂利道だった
しょこたんのご先祖が工事に関わっている
「弾丸道路」って呼ぶのは、だいたい70歳以上の人が多いという印象。(ウチのじーさんもそう。)
若い世代はだいたい「サブロク」ですかね?。
ご視聴ありがとうございました。
制作陣のスタッフもサブロクの表現を使う人が多く、弾丸道路という表現については既に常用されていない物とも感じています。
弾丸道路の表現は、道路の歴史を知るうえで記録を残すべき貴重な表現であると考えており、後世に伝えていく番組になっていましたら幸いです。
今後とも宜しくお願い致します。
国道36号だから北島サブローなんだー
へえ~、弾丸道路ってのは初めて聞いた。まあ、わかる気はする。
ご視聴ありがとうございました。弾丸道路の名称は現在では聞く機会が少なくなりましたが、沿道の案内板など一部では現在も使用されているようです。今後とも北海道の歴史を記録する番組を積極的に制作して参りますので何卒よろしくお願い致します。
さぶろくー
さぶろく~!
「さぶろく」という響きが懐かしいですね!